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あの日から一ヶ月が過ぎましたので。

すっかり放置気味になっているこのブログですが、、、紀伊半島一周に勝るとも劣らない修行の旅をしたにも関わらす、更新できていません。

そう、次回は、三陸海岸縦断鉄道の旅を更新すべく、長文を少しずつ大切に執筆しておりました。

三陸縦断の旅については、特に私自身の20年以上にわたる想いもあり、いつも以上にゆっくりと整理をしながら真面目に冷静に書きためていたのですが、、このたびの震災で執筆が止まってしまっております。

被災地の一日も早い復興と、被災された皆様のご健康と本来の生活への復帰、そして震災により不通となっている鉄道の運転再開を心からお祈りします。


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あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

昨年は色々と旅をした一年になりました。本ブログに書けていないほどの大きな旅もありました。今年もそんな楽しすぎる旅をしたいと思っています。

旅を楽しむには、まず心身ともに健康でなければなりません。ちょっとしたお散歩でも旅と思うこっしーとしては、本当にそう思っています。次には旅を楽しむ心、そして、時間とお金。

例えばちょっとご近所さんのところまでに行く間に、昨日まで気づいていなかった花が咲いているのを発見したら、それは楽しい旅だと思うのです。そう考えれば人生が全て旅なんでしょうけれども、それはこっしーがあまり好きではない芭蕉と言うことが変わらないので、言わないでおきます。(って言ってるし。)

実は今年は、いろんな方から旅の相談を受けています。「これとこれとこれがしたい、でもゆっくりしたいし美味しいお酒も飲みたい」と言う、かなりワガママなお願いです。
でも、その方々によれば、こっしーは十分過ぎるほど優雅で贅沢な旅をしているそうです。
ブログにも楽しそうに書いているからでしょうか。
でも、こっしーが目指して?いる宮脇先生は「自分が楽しそうに」は書いてらっしゃらないのです。嗚呼、だからダメなんでしょうね、こっしーは。

でも、今年は超個人旅のアドバイザとして、楽しんでみようかな、なんて思ってます。
今年もよろしくお願いします。


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白浜から新宮へ、紀伊半島最南端を越えて三重県へ~紀勢本線一周の旅2~ [大きな旅]

白浜温泉で目覚めたこっしーは「うん、今日もコーヒーはうまい! 」と朝からしっかりと濃い目のコーヒーを飲んだ。と言うのは、今日はここ白浜から紀伊半島の南端を越えて、三重県に抜け、名古屋まで北上するのだが、なんと名古屋まで全て各駅停車で行く10時間近い修行の旅となる一日だからである。うまいコーヒーとは裏腹にテンションが下がっていたのだった。
朝の8時過ぎに白浜駅を出た電車は2時間以上かけて新宮へと向かう。この区間は海も見えたりして、覚悟していたほど長くは感じられなかった。新宮に着くと首尾よく6分の接続で次の列車に乗り継げるのだが、次の列車は2両編成のディーゼル多気ゆき。嗚呼、ついにここからはディーゼルかぁ、終点多気までは長そうだな、とさらにテンションも下がりまくってしまう。そう、この列車は新宮発10時52分、終点の多気到着は14時16分、所要時間3時間を越える普通列車なのだ。3時間あったら、東京から新幹線で大阪の先まで行けちゃうよ、とは思わないことにする。新宮を出発したディーゼルカーは、紀伊半島最南端の紀伊勝浦を抜け、三重県に入り、熊野市、尾鷲、大台ケ原を越えていく、と書くと簡単なようだが、とにかく長くて長いのだ。まず紀伊勝浦までが長い。まだ半分を過ぎてないのかと思うとさらにテンションが下がる。もう熊野市を過ぎたあたりからほとんど意識はなく、完全な熟睡タイムになっていた。ただただ山の中を進んでいくだけで、日本でこの地域が最も降水量が多いなんて信じられないほど、外は雲ひとつない猛暑の快晴である。日差しも最強だ。それでも途中の駅で四人組のにぎやかなおばちゃんが乗り込んできて起こされ、何とか終点多気に近づくにつれ、意識ははっきりとしてきた。
それでもなんとなくうつらうつらしていると「終点、多気です」と放送があり、突然田んぼの中の駅に列車は停まった。本当にあたりには何もない。乗り換え駅なのに、と思う。かつて三重県でも近鉄の伊勢中川には驚いたが多気はその上を行く。
とりあえず終点と言われるし、長時間列車に乗っていたので外にもでたいので何もない多気の駅のホームに下りる。本当に何もない、ホームの前に線路、その向こうに田んぼ、以上。ここで15分待って鳥羽ゆきの列車にのりついだが、この15分の長かったこと。それまでの3時間に比べればどうってことはないのだが、それでも長かったのだ。しかし、これで修行も半分を過ぎたし、この先は三重県で土地勘もあるところだから大丈夫、と気を取り直して鳥羽ゆきの列車に乗る。
しかし、相変わらず周囲は何もなく、かつて近鉄で鳥羽に行ったことのあるこっしーとしては、本当の列車も鳥羽に向かっているのだろうか?と思う。すると鳥羽の手前で近鉄の線路が合流してきた。ああ、きっとこれで鳥羽に向かうのだ、と安心すると、まもなく終点鳥羽に到着した。するとすぐに次の名古屋ゆきの快速が出るところだったので、何も考えずに飛び乗ってしまった。とりあえずこれで伊勢市まで行こう、伊勢市で降りればその先はどうにでもなる、と思ったのだった。
とりあえず伊勢市で下車し、コインロッカーに荷物を入れた。次の予定は松阪に17時に到着すればよいのだが、現在の時刻は15時30分。今から内宮まで行っている時間はないし、どうしようかと案じていたが、ならば、久しぶりに外宮におまいりしてみようか、と思い、再び首にタオルを巻いて神宮へ向かった。すると駅前にでたところで、ちょうど外宮経由内宮ゆきのバスがやってきたではないか。首尾よく乗り込みさっさと外宮前で下車。猛暑だったのでこれはありがたく利用できた。外宮にお参りするのは何年ぶりだろうか。最近は内宮や猿田彦や月読宮ばかりで、外宮は初めて神宮におまいりしたとき以来かもしれない。バスを降りて神宮に入ると、首に巻いていたタオルをはずし、薄暗い杉並木道を歩いていく。風がここちよく、空気も澄んでいる。神宮は何度お参りしてもいい。外宮は内宮ほど広くないので、今回のような時間がなくてさっとお参りするにはちょうどいい。30分ほどで外宮をあとにし、伊勢市の駅から松阪に向かう。
松阪では、大学を卒業して入社したばかりの頃にお世話になった先輩と待ち合わせをしていたのだ。これまでも、神宮に行くときに先輩と待ち合わせて行っていたのだったが、今回お会いするのは何年ぶりだろうか。改めていろんなことに気づき、しっかりと松阪牛もいただき、とっても充実した楽しい時間を過ごしたのだった。ああ、今日の旅の修行もすっかり帳消しに。
最後は、松阪から快速みえで名古屋へ。名古屋から新幹線に乗り継ぎ、新横浜に着いたのは夜11時近かった。朝8時に白浜を出てから15時間、長くも充実した旅であった。

最後に。
今回の旅は金欠病(古っ)で予算がない中、強行したのでどーしても各駅停車ばかりの修行旅になってしまいました。が。あくまでもここて旅ブログであって、私は鉄ではありません。以上


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奈良から和歌山へ、そして紀三井寺、道成寺、白浜温泉へ~紀勢本線一周の旅1~ [大きな旅]

奈良までわざわざ各駅停車で行っておきながら、平城遷都1300年祭は数時間ですませて藤原京ばかり堪能した翌日、またまたこっしーは早起きして、JRで王寺に向かっていた。
それにしても関西方面のJRは乗り入れがいろいろとあってわけがわからない。奈良にいるのに電車の行き先もいろいろとあるし、経由地も複雑でいったいどの電車にのったら目的地にいけるのか、土地勘もないのでさっぱりわからない。
そもそも大阪環状線に他の路線が乗り入れているのがどうしても理解できないのだ。東京で山手線に乗り入れる路線など一つもないではないか。
と、文句を言っても仕方なく、今日の第一の目的地である和歌山に向かうために、まずは王寺ゆきの電車に乗る。この王寺ゆきの電車もいろいろとあって、奈良からまっすぐ王寺に向かうのと、桜井、高田経由で王寺に向かう列車があり、後者に乗ってしまうとおそろしく時間がかかってしまうのだ。まあ、高田で乗り換えれば和歌山にいけるのでリカバリーはできるのだが、本当に注意して乗らないとどこに連れて行かれるかかわらない。
無事に王寺に着き、和歌山ゆきの電車を待っていると、なんだかずいぶんふるくさい車両がやってきた。これが和歌山ゆき?と思うとそうだった。まあディーゼルカーじゃないし、冷房もついているからよしとしよう、と電車に乗り込んだ。しかし昔の車両のせいか、冷房が強すぎる。いくら猛暑とはいえ、ちょっと寒い。しかし高田を過ぎると乗客も少なくなって空席が多くなったので、冷房や直射日光の当たらない席に移動する。そのくらい車内は閑散としていた。朝も9時近くなり、通勤通学時間帯を過ぎたからだろうか、この路線で通勤通学もかんがえにくいし、そもそも学校は夏休みか。
電車はだんだんと山に向かっていく。景色も一気に山の色が濃くなってきて、吉野口に着いた。隣に近鉄のホームが並んでいる。吉野口でかなり長時間停車していたような記憶がある。高校生らしき男の子がホームに出て水道の水を飲んだりしている。柿の葉寿司の売店がある。ほとんど眠りかけたころに電車は出発し、山の中ののどかな地帯を西に向かっていく。いい感じでうとうとと眠くなってくる。次に電車が長時間停車したのは橋本だった。今度は南海のホームが右手に見える。関西に来てJRより私鉄の方が古そうに見えたのは、この橋本が初めてだった。
そして列車は川沿いに和歌山に向かう。景色を見ているだけでも山から海に近づいているのがわかる。実はこっしー和歌山は初めてだったので、眠気も晴れてだんだんわくわくわしてくる。それでもなかなか着かないのでいらっとするが、突然「次は終電和歌山です」と最後は呆気なく和歌山に到着してしまったのだった。
和歌山に感動している時間もなく、紀勢本線の御坊ゆきの列車に乗り込む。相変わらずの猛暑でアイスを食べている人が多い。こっしーもたべたいが、2つめの紀三井寺ですぐ降りなければならない。紀三井寺も以前から来て見たいと思っていたのでわくわくしながら下車し、駅のコインロッカーに荷物を預け、また首にタオルを巻いて気合を入れていざ紀三井寺へ。
とするとそこにたちはだかる二百段以上の階段 ! 覚悟はしていたとは言え、ゴールまでまっすぐだというのにゴールが見えないこの現実は何なんだろうか。入口で拝観券を売っているおばちゃんによると「若い人なら5分で一番上まで行けちゃうみたいだけどね」と信じられないことを言われてしまう。嗚呼、こっしーが乗る電車まであと1時間半。こっしーは無事に行って帰ってこられるのか。拝観券売り場で杖を借り、万を持していざ頂上へ。で、軽く休み休みで10分くらいで到着。心配する必要はまったくなし。
と、登ってきた階段の方を振り返ると、なんと絶景かな絶景かな! 和歌山の海が一望できさわやかな風が吹いてくるのだ ! おお、これは苦労してのぼってきてよかったよかった。
その後も最近できたばかりの本尊を見学し、観音様の顔が見えるように作られた展望台の一番上にのぼって、ずーっと海を見てまったりと時を過ごす。暑いけれどすかっと晴れていて景色はバッチリ。
すっかり紀三井寺を堪能し、猛暑にあえぎながら紀勢本線の紀三井寺の駅に戻り、再び御坊ゆきの電車に乗り込む。終点の御坊が近づくとさらにこっしーのわくわく感は本日最高潮に。血圧200くらいいっちゃってたらどうしよう?と思ったものの、すぐに次の電車に乗りつぎ、二つ目の道成寺で下車する。

道成寺駅は無人駅で小さな駅舎が一つあるだけ。駅前に喫茶店が一軒あるだけで他は民家があるだけだ。道成寺はとても有名だから現地まで行けば順路くらい書いてあるだろうと思っていただけにこれはちょっと計算外。ちょうど水分補給もしたいところだったので、駅前の喫茶店に入ることに。アイスティを注文し、道成寺までの道を教えてもらうと、突き当たりを左、また突き当たりを右、ここから数分ですよ、と喫茶店の奥さんが教えてくれた。お礼を言ってお代を払おうとすると、キッチンからご主人らしき方が出てきて「その荷物、お預かりして」と言っている。すると奥さんがおつりを渡してくれながら「もしよかったら、そちらの大きなカバン、お預かりしますよ」とおっしゃってくださったので、大変ありがたくお言葉に甘えさせていただく。

道成寺は確かにそこから数分の場所にあった。かつて長唄を習っていたこっしーは道成寺もお稽古してもらったので、安珍清姫伝説は知っているのだが、やはり本物の紀州道成寺に来たとなるとなんとなく怖いし緊張する。参道には土産物や食堂もあるのに、観光客は一人もいないではないか。猛暑の季節の平日とは言え、妙に緊張してしまう。首に巻いていたタオルもついはずしてしまう。
先ほどの紀三井寺のせいか、道成寺の階段はまったく問題なくのぼることができ、釣鐘の跡地、と書いてある看板があった。ひえ ! 今でも本当に釣鐘があったらこわいが、跡地と聞いただけでもなんだか怖い。道内を一周し、宝物館があるので入ってみた。すると大部分は、道成寺物に関する歌舞伎などの展示で(笑)、もちろん古い仏像などもあったが、全体的にこっしーにとっては面白い展示だった。歌舞伎のDVDも流していて、画面を見ずにスピーカーに耳を近づけて長唄を聴いているこっしーだったが、誰もいないので問題なし。誰もいないのは怖いけれど、こういうときは都合がいい。
道成寺は紀三井寺ほど大きくないし、時間もないので40分くらいで拝観をすませ、先ほどの喫茶店にありがたくお礼を言って荷物を受け取り、再び紀勢本線に乗り込む。まもなくして日高川を渡ったが、ごく普通の川であった。道成寺の歌から、とても急流で越えることのできないような川を大蛇は簡単に泳ぎ渡ったとは、なんと言う執念、とイメージしていたのだか、もちろんそれはこっしーの勝手な想像で、日高川はまったく普通の川だった。そりゃそうだ。にしても今日は紀三井寺と道成寺と言う念願の場所に来られて実にいい一日だった、と満足し、終点紀伊田辺で下車。駅前から白浜温泉ゆきのバスに乗り、白砂の海辺の公衆浴場で夕陽が沈む中温泉に浸かり、夜はバーで軽く地ビールをいただき、大満足な一日となったのだった。


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猛暑の奈良滞在記~藤原京>平城遷都1300年祭 [大きな旅]

へとへとになりながらも、川崎から奈良まで新幹線を使わずに到達した翌日、猛暑なのは十分覚悟の上、こっしーは奈良から桜井へ出て、近鉄で橿原神宮前に向かった。今年の奈良は平城遷都1300年祭が開催されているが、今回のこっしーの旅の目的は藤原京。前回来たときは月曜日で、橿原市内の見学施設がほぼ全て休肝日、いや、休館日と言うかなり衝撃なドジをやってしまったのだった。ということで、いざ藤原京にリベンジ! と近鉄で橿原神宮前までやってきたのだった。とにかく午前中の早い時間のうちに藤原京内の遺跡をまわって、正午近くからは猛暑がさらにひどくなるから、博物館や資料館めぐりに転じよう、と言う作戦だった。橿原神宮前の駅構内でママチャリを借りたものの、ここでレンタサイクルを利用する人はみんな飛鳥方面が目的。藤原京内を回るなんて変人はこっしーくらいしかいないらしく「藤原京の遺跡の地図はありません」と言われてしまい、仕方なく最寄の考古学博物館に寄って事情を説明し、藤原京の地図をゲットし、今度こそいざ出陣。早速こっしーは首にタオル巻いてママチャリをこいで旧薬師寺へ。ああ、大和三山が見放題、遠くに三輪山も見えて、ここはまさに万葉集の世界そのもの。その後も、宮殿跡や資料館や博物館や研究所も見学し、すっかり藤原京を堪能したこっしーは、再び近鉄に乗り、大和西大寺で下車。本当はここから西大寺に行きたいところだが、前回言ったばかりなので、今度こそ平城遷都1300年祭の会場に向かうシャトルバスに乗車する。すでに猛暑もおちつき時刻は夕刻となっていた。ちょうど夏のイベント期間中だったので夜間ライトアップもしていたし、展示も時間延長していたので運がよかったかもしれない。遣唐使船や朱雀門の復元は本物の規模で、やはり存在感がある。
今回の奈良滞在は、一日をうまく利用できたような気がする。平城遷都1300年祭は所詮お祭りであり、夕方の涼しくて空いている時間にちょっと見ればいいような気がした。こっしーは奈良にきたらとにかく西の京ばかり行く人間で、東大寺などは一度行けばもういいと思っている。西の京にどうしてそこまで駆られているのか自分でもわからないが、多分、当時の建物がそのまま残っているからだろうか。そういう意味では藤原京は何も残ってはいない。しかし万葉集でも歌われたあの大和三山は、当時と同じ姿なのだろうと思うと、やはり藤原京にゆっくり時間をかけてよかったと思っている。でも周囲の人々へのお土産を平城遷都1300年祭会場限定販売の「せんとくん饅頭」。
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名古屋まで在来線、そして関西本線で奈良へ~新幹線のない旅~ [大きな旅]

2010年8月下旬、猛暑のさなか、やっと夏休みを取ったこっしーは、ついにあの「青春18きっぷ」を手に、川崎駅から東海道線の各駅停車に乗り込んだ。嗚呼、青春18きっぷを使うなんていよいよ自分も鉄の仲間入りなのか、と嘆きながらも、今回の旅は「国盗り」(ケータイ国盗り合戦)をしながら奈良を目指すと言う主旨のであり、一気に新幹線で行くと途中の国が盗れないため、仕方なく、そう、仕方なく、在来線の各駅停車で行くことにしたのだ。であれば、青春18きっぷと言うせっかく安くて便利なものが巷で売られているのだから利用しない手はない。そう、目的にあった手段を選ぶ、これは仕事でも旅でも同じなのだ。青春18きっぷを使うと鉄と思われてヤだ、と思うより、賢い手段を選択したに過ぎないのだ。
と相変わらず長すぎる言い訳はさておき、平日の旅立ちは常に早朝出発が基本である。なぜならば、いくら下り方向とは言え、ラッシュアワーが始まる前に都会を脱出したいと言うのと、何よりも会社に通勤してくる同僚に鉢合わせないためだ。これはいつもの手段である。
川崎発6:05分の東海道線沼津行きに乗り込み、小田原まではしばしうとうととようと目を閉じる。しかし手前の国府津あたりから今度は静岡県内の高校(N大学M高校)に通う生徒がぼちぼち乗ってきて、ガラガラだった電車もにぎやかになってきた。東海道線の在来線で西に向かうのは伊東に住んでいる大叔母のところに行くときくらいなので、丹那トンネルを越えて西に向かうのは実に久しぶりだ。
沼津では急いで次の浜松ゆきの列車に乗り換える。車両の編成が一気に短くなったが何とか着席できた。JR東海のエリアに入ると、急にどの駅も同じような作りに見えるのは気のせいだろうか。まもなく吉原に到着すると、岳南鉄道のホームが見えた。もちろん乗ったことはないが、まだまだ健在なのだと思いつつ、でもこっしーは鉄ではないから乗らない。その後もうとうとしながら清水、静岡と電車は西に進んでいく。かつて名古屋に住んでいる人が横浜から帰省するときに「新幹線で新横浜から名古屋まで行く間、90%は静岡県内を走ってるような気がする、とにかくこの静岡が長いんだよね。いっきに神奈川県から愛知県までワープしてほしいよ」などと言っていたが、本当に静岡県は、広い。東西に長い。これだけ東部と西部が離れていたら、とても同じ県内でも行き来や通勤はできないだろう。それを実感してもなおまだ有り余るくらいの時間が過ぎただろうか、電車は金谷に到着した。あの大井川鉄道で有名な?金谷である。
こっしーは鉄ではないので大井川鉄道に乗ったことはもちろんない。しかし子供の頃、山口県の山口線にSLやまぐちが運行されるようになったとき(昭和50年代の大昔の話だが)、弟が祖父に「SL、SL」とねだって、祖父母と弟と私の四人でツアーに参加し、あさかぜ3号で小郡まで行って、SLやまぐちに乗ったのだった。このことを聞いたいとこ兄弟も祖父に「僕たちもSL ! 」と当然おねだりをしてきたのだが、さすがに祖父も寝台でSLに乗るのはもうしんどかったので、いとこたちとは大井川鉄道に乗りに行ったのだ。いとこたちは当時「僕たちは近場でごまかされた」と子供心なりにちょっとひがんでいたらしいが、大人になった今、どう思う?とこっしーは言いたい。山口線より大井川鉄道に連れて行ってもらってよかったんじゃないの?と。今やSLは磐越西線とか真岡鉄道とか秩父鉄道でも運行されているようだが、もしどれか一つに乗らなきゃならないとしたら、今のこっしーは大井川鉄道を選ぶだろう。はっ、まさか、東海道本線の在来線で静岡より西に来たのは、まさかあのときのあさかぜ3号以来、30年ぶり?と一瞬考えてしまったが、もしかしたらそうかもしれない。汗
一人意味なく動揺しているアホこっしーを尻目に電車はまもなく掛川に到着した。ここでいったん東海道線を降りて、天竜浜名湖鉄道に乗り換える。それにしてもここまでも長かった、すでに座りっぱなしで腰が少し痛い。新幹線で来れば一瞬なのだが、それは忘れよう。
階段をのぼって天浜線のホームに出ると、そこには1両編成の列車がちょこんと停まっていた。なんとものどかな雰囲気である、時刻は朝の9時半で、すでに通勤通学客はいない。列車は、のどかながらもいかにもヤマハのおひざもとを髣髴させる建物を車窓に映しながら一つ一つの駅に停まってゆっくりと進んでいく。ごみごみした街でもなければ、民家もまばらな山奥の田舎でもなく、それでいて自然豊かな一帯だ。こんなバランスの車窓は意外とめったに見られないものではないだろうか。中途半端ではなく、独特なものを感じる。やがて列車は天竜川を渡り、西鹿島に到着した。ここで天浜線を降りて遠州鉄道に乗り換える。
遠州鉄道はこの西鹿島から新浜松まで、日中は12分に1本の間隔で運行している電車である。先ほどの天浜線とはだいぶ雰囲気が違って街中を進む路線だ。新浜松が近づくにつれ、乗客も増え、市街地に入ると線路も高架になり、終点新浜松では多くの乗客がどっと降りた。
ここからまた東海道線で西に向かう。JRの浜松で電車を待っている間、とにかく暑くて仕方ない。ついつい水を飲んでしまうが、とにかく今年の夏は保冷のきく水筒が手放せない。自動販売機でミネラルウォーターを買ったら全てこの水筒に移しておけば、10時間きらいは冷たいままなのだ。やっと列車が来て冷房の車内に入りホッとするとまもなく浜名湖を超えて、睡魔に襲われる。それでも何とか「国盗り」をしつつ終点の豊橋に到着した。
豊橋からは飯田線に乗ったり、渥美線に乗ったりして、「国盗り」をし、再び豊橋から名古屋に向かって東海道線を西へと向かう。それにしてもこの「新快速」とやらは、なんと車両も快適でスピードも速いのだろうか。東京~小田原の東海道本線もこうだったらいいのに、と思う。しかしこの車両を15両もつなげたら、ラッシュ時は大変なことになるのは間違いないし、この区間はJRと名鉄と競合しており、事情も違うので仕方ない。そう思っているうちにあっという間に電車は名古屋に着いた。

さて、名古屋からは四日市に向かうのだが、ここでは接続が悪く30分くらいの待ち時間がある。いつも名古屋駅での接続と言うと、きわどいことばかりで、たとえば上りの新幹線に乗るときは自由席特急券だけを手にしてホームに向かい一番最初に来た座れる列車に乗っていたがまあ10分もあれば問題ないし、名古屋から下りの列車に乗るといったらまず近鉄で伊勢志摩方面に向かう場合がほとんどであり、これも本数が多いから接続時間など気にする必要がない。
しかし、今日は、関西本線で四日市に向かうので、接続が30分もあると言う、めったにないラッキーチャンスなのだ。
そう、これまでこっしーは名古屋駅のホームで「あのきしめんが食べたい」と思いながらも「もう電車が来ちゃうから」と涙を飲んできしめん屋を見ながら新幹線に乗り込んでいたのである。しかし今日は、やっと、やっと、このきしめんを食べる時間があるのだ、すばらしい !
外は猛暑で全くきしめん日和ではないが、迷うことなく、ホームの駅そば屋ならぬ駅きしめん屋に入る。客は夕方が近いせいかこっしー一人。このきしめんのためにこれまで何も食べずに来たんだから時間帯など関係ない。と数十年越しの念願のかかったきしめんをいただき、さあ、関西本線のホームへ。と思ったが、なかなか見つからない。やばい、時間もない、やっぱり慣れない乗り換えをするんじゃなかった、ここから近鉄名古屋まで歩いていくほうがこっしーにとっては簡単じゃないか、と思ったらそこが関西本線のホームに行く階段だった、ああよかった。
乗り込んだ快速みえはたった二両編成。しかもかなり混んでいて、ぎりぎり何とか座れた。しかもこれ、車両はディーゼルではないか。いつもの近鉄に慣れているのでこれはまあしょうがない、ときを取り直してこの列車で四日市まで向かう。快速みえは近鉄特急とさしてスピードではひけを取ってないし、特急料金もかからないのだだが、なんでこっちはたったの2両編成なんだろうか?と思ったら、理由がわかった。四日市で降りたらそこは街のはずれだったのだ。いつもこっしーが近鉄で来ている四日市はとっても栄えているのにこちらのJRの四日市周辺には何もない。近鉄四日市からどのくらい離れているのか検討もつかない。本当に同じ四日市なのだろうか?と思う。夕刻の四日市は猛暑もだいぶ落ち着いていたので、冷静に周囲を見ることができたが、しばらくすると、名古屋~四日市間で追い越したであろう亀山ゆきの電車がやってきた。こちらは快速みえと違ってガラガラだったし、ディーゼルではなく電車だった。
ホッとして乗り込み、国盗りをしているとすぐに終点亀山とアナウンスされた。えっ?もう?と言うほど短く感じてしまったのだが、そもそも亀山に近づいているのに、市街地に入った感じがしないのだ。亀山駅の周辺も何もないと言うか、それすら確認する時間もなく、次の列車は3分接続だ。急ぐしかない。
次に乗る列車は加茂ゆきだが、どこにも車両が見あたらない。しかし亀山で降りた乗客の一部が、小走りで乗り換え階段をのぼって行く。「伊賀上野、加茂方面」と書いてあったので、とりあえずこっしーも追従して走る。すると、その先に紫色の「バス」のような車両がホームにちょこんと停まっていた。ま、まさかこれが加茂ゆき?と思うとそうだった。なんとか「バス」に乗ると、すでに車内は満員で立つ人であふれていた。しかもこの「バス」、ドアが折りたたみ式に開閉するから、本当にバスみたいだ。レールの上さえ走らなければ、バスにしか見えない。
そんな一両編成の加茂ゆきに息切れしながら乗り、ぜいぜいと息をしながらボストンバッグをよっこらどっこいしょと網棚に乗せると目の前に座っていたおじちゃんが隣の中学生らしき集団に「おい、そこ、もうちょっと詰めて座れ」と言い、おじちゃんおん自らも少し詰めてこっしーに座るように言ってくれた。よほどこっしーの息切れが激しかったのだろうが、ありがたく座らせていただく。
一両編成の関西本線は夕闇の山地を西へ西へとゆっくり進んでいく。亀山から加茂までは1時間半程度の所要だが、車窓の景色も深山の水墨画のようで、対面に座っていたおばちゃんたちもにぎやかなおしゃべりを中断して、車窓に見入っている。伊賀上野につく頃は周囲も暗く、残念だったが、非常に濃厚で長く感じられる一時間半だった。
加茂から奈良に出て、駅前のビジネスホテルにおちついたのは21時近かった。川崎から15時間、ずっと各駅停車と寄り道の旅で奈良までは、長かったのか、短かったのか。とにかく東海道線と関西本線のギャップが激しすぎてとても一日とは思えない旅であった。


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2009年の成果と2010年の目標? [大きな旅]

あけましておめでとうございます。今年も楽しい旅の出来る1年にしたいと思っております。最近、ブログの更新が少ないぞ、と言うご意見をいただいておりますが、「旅に出なければ更新しない」の図が定着してしまっております。 
そう、ここは鉄ブログでなくて旅ブログであります。しかも最近は中くらいの旅(宇都宮とか白河とか)のリピート程度では更新しなくなってるし。

振り返れば2009年は大きな旅の回数は少なかったものの、もろもろの記録を更新してしまい、鉄疑惑が増してしまいました。
・伊豆箱根鉄道大雄山線完乗(2月)
・みなとみらい線完乗(3月中)
・江ノ電完乗(同)
・常磐線完乗(3月末)
・岩泉線完乗(同)
・花輪線完乗により、秋田県内鉄道(JR、私鉄、第三セクタ含む)完乗(同)
・京急本線完乗により、神奈川県内鉄道(JR、私鉄を含む)完乗(5月末)
・東北新幹線(東京~八戸)完乗(8月)
・大湊線完乗(同)
・津軽今別→津軽二股乗換え(同)
・竜飛海底駅下車(同)
・奥羽本線完乗(同)
・外房線完乗(9月)
とまあ、露天風呂とかを求めて旅をした結果、こんな成果を出してしまいましたが、私は鉄ではありません。

ちなみに2010年に旅をしたいと思っているところは次のとおり。
・只見線で会津若松へ(今が一番いいシーズンなんですよねー)
・岩国(文学作品の検証と酒を飲みに行きます)
・瀬戸大橋を渡って道後温泉へ(三年越しの計画)
・奥甲子温泉の大黒屋の大岩風呂入浴と日帰り入浴スタンプ10個ゲット
岡山の後楽園(偕楽園、兼六園には行ったのにここだけ未だ)
とここまで書いていると、リピートで道東の流氷とタンチョウ、札幌のライラック、伊勢神宮日帰り参拝(と松阪牛の焼肉♪)、北九州・・・嗚呼、きりがなくなってしまいました。
後楽園と瀬戸大橋は長期休暇を取ればまとめて行けるかも♪そういう意味では、岩国と北九州もまとめられるかもしれない♪とかなり現実的な妄想に走ってしまってますが、まずはよい子は酒の量を控えて予算を捻出しなければ。

と言うことで、2010年もこの旅ブログdeこっしーをよろしくお願いいたします。


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ついにあの和田浦ビーチへ。 [中くらいの旅]

2009年9月、シルバーウィークの五連休を利用して、ついに私はあの憧れの地・南房総の和田浦に行くことにした。
和田浦とは映画「ハート・オブ・ザ・シー」の舞台であり、この映画には私の大好きな杉山清貴さんが本人役で出演している。映画は数年前にDVDを借りて観たが、そのときにいつかこの和田浦に行ってみたいと思ったのだ。しかし夏のシーズンは海水浴客で混んでいるに違いないから、春か秋のシーズンオフを狙っていた。そしてついにその日がやってきたのである。

しかし和田浦は遠い ! 川崎市内の我が家からだと、千葉まで出て、内房線経由と外房線経由の二通りが考えられるが、どちらで行っても各駅停車で片道約4時間。これは相当な気合が必要である、しかも千葉県だと言うのに片道1000円2000円では行けない、交通費もかかる。もはや小さな旅の範疇ではない。
一番安いのは、とにかく私鉄で都内まで出て、そこから地下鉄で新木場、京葉線で蘇我、というルートなのだが、この時期はJRのツーデーパス5000円もある。私は悩みに悩んで、決められないまま当日の朝を迎えた。

結局、JR南武線で鹿島田に出て、新川崎発7:03の横須賀総武快速線で千葉まで行くことにした。
早速駅の券売機でツーデーパスを購入。「発券しています・・・発券しています・・・」の音声が何度も繰り返され、いつになったらきっぷが出てくるかと思ったらなかなか出てこない。発券枚数が6枚と表示される。どうしてたかだかツーデーパス一枚購入するのに6枚も発券されるのか疑問に思ったものの、アンケートやパスの案内の説明などが含まれていた。結局、予定していた南武線の電車には乗れず、次の電車で鹿島田から新川崎まで走りに走ることになってしまった。私は運動が大嫌いでよほどのことがない限り走るなどと言うことはしない。早朝からこれでは先が思いやられる旅になりそうだ。

横須賀総武快速は新川崎を出るとまもなく武蔵小杉の新駅設置工事の場所に差し掛かかる。すぐ近くから毎日のように見慣れている景色であり、ホームなんてほとんどもう出来ているかと思ったら、長さは充分でも幅がまだ半分くらいしか完成していない。線路を走る電車から見るのと外から見るのではずいぶん差があるのだと思った。連絡通路や駅前広場、自転車置き場の工事も始まっていて、だいぶ進んできているようには見えるが、まだしばらくはかりそうだ。

それにしても横須賀総武快速線に乗るのは久しぶりで、品川ではホームが増えていたのに驚いたくらいだった。さらに東京駅の地下ホームなどは、数年前に成田エクスプレスに乗って、空港まで「お迎え」に行ったとき以来かもしれない。そんなことを思い出しながら東京駅に到着した。
しかし東京駅地下ホームに停まってる総武快速千葉ゆきは定刻の7:25を過ぎても一向に発車しない。7:15発の成田エクスプレスが遅れていて、そちらを先に通すのだと放送している。しかしその遅れている成田エクスプレスもなかなか来ない。時刻はすでに7:27になろうとしている。実はこのあと、終点の千葉で4分の接続で外房線の始発に乗りかえることになっているのだが、これに乗れないと次の安房鴨川行きは1時間後なのである。ここでの接続に失敗すると、和田浦に着くのは昼近くになってしまう。ひやひやしているとまもなく遅れていた成田エクスプレスがやってきたらしい。重たいスーツケースを抱えながらゆっくりと乗客が乗り込んでいるらしく、駅員氏はよほど早くドアを閉めたいのか「次の7:30発の成田エクスプレスは定刻で運行しています。次の列車はすぐに参りますので、そちらもご利用ください」と放送している。
まさか、7:30の成田エクスプレスまでこの電車より先に行かせるのではないかと不安に思う。それに成田エクスプレスって全席指定だ。指定席券を持っている乗客に「次の列車をご利用ください」と言って通じるものなのだろうか。きっと無理して遅れている成田エクスプレスに乗り込もうとしているに違いない。そんな疑問を感じながら、わが総武快速は成田エクスプレスに続いて東京駅を4分遅れで7:29に出発。
各駅で「すぐの発車となります」のノリで、総武快速は遅れを少しずつ取り戻して行った。さらに市川で特急2本、津田沼で特急1本に抜かれるダイヤになっており、終点千葉には定刻に到着した。実は途中、心配になって津田沼停車中に一番後ろの車両まで行って車掌さんに千葉で4分接続の外房線に乗り換えたいんだけど間に合うのか?と質問までしていたのは内緒だ。

実はこっしー、アクアラインが開通してしばらくした頃に房総半島に来たことがあるが、内房車でやって来ただけで、それ以外、房総半島にはやってきたことがない。今回は初外房となるのだ。そんなわけでちょっとワクワクしながら千葉駅で外房線を待っていると、昔の横須賀線のような電車がやってきた。地元の人に混じって観光客こっしーも外房線に乗車する。千葉を出発したときにはちらほらと立っている人もいたが、ほとんどの乗客は大網までで降りてしまった。そこから先は本格的なローカル線の雰囲気になる。途中の大網や上総一ノ宮どまのりの列車はあっても、安房鴨川まで行く列車が1時間に1本と言うのも乗車率を見ているとわからないわけでもない。

それにしても千葉から安房鴨川までの2時間は本当に長かった。海が見えるというわけでもないし、天気も晴れたり曇ったりを繰り返している。ふと気付くと車内に貼ってある路線図が房総半島バージョンだったので、時々、路線図を見ながらどの辺までやってきたのか確認してみたのだが、「まだ安房鴨川は遠いや」と思うだけなので、そのうち見るのもいやになってしまった。いつの間にか線路も部分的に単線になっているような気がする。やたらと停車時間の長い駅もあったりして、居眠りの一つでもしたくなるが、杉山清貴のビーチに向かっているだと思うと再び気合が入る。

それでも御宿、勝浦と、車窓の向こうのサーファーも増えて、南房総に近づいてきたぞ、と思い、列車はついに終点、安房鴨川に到着した。自宅からここまですでに3時間30分経過。すでに座りっぱなしで腰が痛い。

安房鴨川ではホームの反対側に館山ゆきの内房線が待っていた。すぐにこの列車に乗り込む。ここからは館山まではちょうど1時間に1本の間隔で電車が走っている。沿線は確かにローカル色が強いが、どの駅にもSuicaの改札機がある。いよいよ和田浦に向かっているのかと思うと、腰痛も忘れてしまった。列車は海沿いの単線区間を静かに南へ向かう。

そして10:36。ついに和田浦に到着した。ときめきと緊張と興奮の混じり合った気持ちでホームに降り立つ。

歩道橋のようなこ線橋を渡って駅舎に向かい、改札を出る。自宅を出てから3時間57分、ついに私は和田浦までやってきたのだ。
駅の中に観光案内があるが、もちろん映画のロケ地に関する説明は一切ない。私はとりあえず海岸に出ることにした。これはもうカンに頼るしかない。
駅前広場には、映画の冒頭で出てきたお店が一軒ある。なんともリアルでたまらない。しばらく歩くと踏切を渡る。すると、映画の舞台となった、空、海、町が広がっていた。杉山さんのビーチクリーンコンサートの会場となった海岸、くじら漁港基地、街中の民宿、坂の中腹にあるコンクリート打ちっぱなしの建物、杉山さんが振り返って手を振って下っていった坂道、私は本当に和田浦に来たのだ。潮風が心地よい。

再び和田浦の駅に戻ったのはちょうど一時間後だった。列車は1時間に1本しか来ないから、ちょうどいい探索である。

私は再び内房線に乗り、浜金谷で下車し、金谷港から東京湾フェリーで久里浜へ渡った。1日中電車に乗っているのは少ししんどい。和田浦の町を堪能して感動し、改めて、私は鉄ではないと実感した中くらいの旅であった。


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竜飛海底都市探検~青函トンネルを行ったり来たり~ [大きな旅]

8月11日の朝、青森を出発し、津軽今別から津軽二股に乗り換えて蟹田まで戻ってきたものの、次に乗る列車まで40分ほどあるので、改札をとおり駅舎の外へ出てみた。するとさっきは何もないと思っていた蟹田の駅前にもタクシーが待っていたし、駅まで車で来て列車で通勤しているかと思われる方の車が10台ほど停まっている。函館ナンバーとか弘前ナンバーが多く、青森ナンバーが少ない。なんとも不思議だ。さらに駅前のメインストリートと思われる通りに出るところにはバスターミナルもあり、その先には民家や商店もあった。駅から5分も歩けば、津軽海峡に出る。こんな何もないところからこんなに白鳥に乗車するなんて、と思ったことに対して自分の中でゴメンナサイする。そう思って駅前に戻ると、さきほどのバスターミナルから町内循環バスが出て行ったが、前のドアが開いたままだった。大丈夫なんだろうか。

先ほど乗った白鳥41号に蟹田からかなりの乗客が乗ったことを思い出し、早めにホームに行って自由席の乗車口に先頭で並ぶ。やってきた白鳥45号は案の定ほとんど空席がなく、先頭で並んだから何とか座れたようなものの、ぎりぎりで並んだ人たちは通路に立っている。何とかこれまで列車は全て着席できているので幸運だ。蟹田を出た白鳥は、先ほど下車した津軽今別を通過し、トンネルをいくつか通過したあと、ついに青函トンネルに入った。世界一長いトンネルだけあって、なかなか地上には出ない。途中、色のついた照明が見えたり、海底駅か?と思われる場所を追加したりして、いよいよ北海道に上陸?した。天気はうって変わって晴天だった。

次の木古内で白鳥45号を下車する。何とも慌しいが、次の目的地へ行くにはこうするしかないので仕方ない。夏の陽射しが強いがそこはさすが北海道、日陰に入れば涼しいし、風が気持ちいい。歩いて10分も行けば津軽海峡に出る。北海道側から見る津軽海峡は何時見ても美しい。立待岬から見る津軽海峡もいいが、ここから見る津軽海峡もいい。湯の川温泉露天風呂から見る津軽海峡もいい。次の目的地のおかげで、今日もこうして北海道側から津軽海峡を見ることができるのだ。1時間くらいの待ちはちょうどいい。と思ってしばらくぼーっと海を見ていたが、何しろ陽射しが強いので早めに駅に戻る。駅前の喫茶店で「グレープフルーツジュース」を注文し水分補給をし、トイレ休憩とする。マンガが沢山置いてあって読んでみたい気に駆られるが、青森に戻る白鳥18号に絶対に乗り遅れてはならないので、早めに駅に戻ることにする。相変わらず陽射しが強いし、木古内の駅のホームが幅が狭くて屋根もないが、ここはじっと我慢する。
白鳥18号を待っている間に向こう側のホームからは一両編成の江差線の上りが出て行った。かと思うと江差線の下りがやってきた。江差線って木古内~江差間は1日数本しか走ってなかったんじゃなかったっけ?なんで白鳥を待っている間に2本も見かけるの?とイラつくほど、暑さは強烈だった。でも風はやはり気持ちいい。
待望の白鳥18号は、定刻を1~2分過ぎてもやってこない。どうしたのだろうか。隣のホームにはすれ違う函館ゆきのスーパ白鳥が停車していて、車掌がまだかまだかと窓から首を出して白鳥18号がやってくる方向を見ている。

白鳥18号を待つ私の手には「竜飛海底駅見学予約券 8月11日竜飛1コース」がある。この見学予約券には、必ず白鳥18号に乗車し、竜飛海底駅で2号車から下車してください、と書いてある。白鳥の自由席は2号車と3号車なので、2号車の先頭に並ぶ。それにしてもこの竜飛海底駅見学のためだけにわざわざ青函トンネルで北海道に渡って函館にも寄らずに引き返そうとしている行動を「鉄」と思われる方もいるかもしれないが、函館はもう三度も行っているし、せっかく行くのであれば、トンボ帰りではなく湯の川温泉あたりに一泊したい。しかも海底駅を見学するには時間やコースが限られているし、この時期は北海道側の吉岡海底駅が新幹線工事で見学を中断しているので、どうしても竜飛海底の見学予約が混雑している。四泊も五泊もする金銭的余裕がない以上、このコースにするしかないのだ。
やがて白鳥18号が3分ほど遅れてやってきた。すれ違いのスーパー白鳥の車掌もホッとしている。いざ出陣の思いで乗車すると車内は思っていたほど混雑していなかった。やはりこの時期に混んでいるのは函館方面だけなのだろうか。こっしーもホッとして着席する。

トンネルをいくつか過ぎ、北海道側最後の駅の知内を通過し、列車は青函トンネルに入る。本日二度目の青函トンネルだ。デッキへ出るドアの上のテロップに「次は竜飛海底」の文字が流れる。おお、本当に海底駅に停まるんだ(当たり前だが)、と思う。いよいよ竜飛海底が近づいてくると(海底なので近づいている感じはしないのだが)、竜飛海底で下車する乗客が2号車のドア近辺に集まってくる。確かに時刻表どおりに停車するのだから、駅が近いのはわかるとしても、大したもんだと感心する。

車内にアナウンスが流れ、列車はスピードを落とし、青函トンネルの海底で停車した。竜飛海底駅だ。次々と乗客が降りる。31人が下車した。

一行?が下車した指定の場所には、ホームから工事用のトンネルに向かう通路があった。
通常、見学予約の指定列車を除いて、竜飛海底には列車は停車しない。海底トンネルの「定点」と言うらしく、トンネル内で火災などの災害が発生した場合、列車を緊急でこの「定点」で停車させ、工事用のトンネルを経由して乗客を地上に避難させることもできる。
青函トンネルは、本来列車が走る「本坑」の他に、「工事坑」と「補助坑」が並行している。「本坑」は列車しか走れないので当然我々は見学することがてぎない。「本坑」上にある竜飛海底のホームは人が一人やっと立てるくらいの幅しかない。こんなホームの上で通過列車を待ち受けるなんてことはとても怖くてできないくらいの幅だ。

JR北海道の子会社の方(本人の自己紹介による)のおじさんが、ツアーコンダクターとなって31人の一行に説明をしてくれる。まずは本坑のホームで簡単な説明。しばらく話を聞いているうちに列車の通過時刻が近づいてきたので、工事坑へ向かう通路に誘導される。工事坑に着くと「荷物はこちらにお預けください」と言われる。手荷物全てを渡さないとダメなのだろうかと思っていると、見学途中で荷物を忘れたりしても取りに戻ることはできないし、かなりの距離を歩くことになるので、貴重品以外は全て預けてほしいとのことだった。

そしていよいよ工事坑を歩いて見学ツアーが始まる。最初のうちは照明も明るくて楽しいツアーの始まりかと思っていると、すぐに真っ暗で下は水漏れのトンネルを延々と歩く。秘密の地底都市みたいで、ワクワクすると言うよりもちょっと怖い。ツアコンのおじさんも団体行動を徹底してほしいと周知しているが、こんなところで迷子になったら大変だ。
それにしても海底トンネルにはいろんな施設があって驚く。まずは工事坑の中にずっと線路が残っているのだ。もちろん工事用の車両を走らせていた本物の線路なのだが、撤去していないのだそうだ。本当にここを利用して工事をしていたのだと思い知らされて、生々しい。さらに詰所やお手洗い、なんと公衆電話まであった。発信していないので実際につながるかどうかわからないが。

ツアコンのおじさんが時々人数をチェックしながら、一行は海底トンネルを進む。先頭はツアコンのおじさんだが、最後尾には必ず警備のおじさんがついていてる。脱落する人が出ないようにするための措置らしい。ちなみにこっしーは常に31番目を歩いていたので、ツアコンのおじさんが人数を数えて最後に31番目にこっしーがいると「よしOK」と言って進んでいた。すっかり顔を覚えられてしまったようだ。笑

とあるポイントで「皆さん、そろいましたかー?では扉を開けますので立ち止まらずに進んでください」とツアコンのおじさんが言う。やがて扉が開くとサイレンが鳴り黄色灯が回転する。31人が次々と扉の向こうに行く。なんだか秘密の部屋に入るような感じで、楽しいというよりもリアルで怖い。ここは海底なのだ。31番目にこっしーが通過し、最後尾の警備のおじさんが扉を閉める。サイレンが鳴り止み、黄色灯が消灯した。そして31人全員が次の扉の前に揃うと、先頭のおじさんが次の扉を開ける。再び海底にサイレンが鳴り、黄色灯が回転する。これは風圧の関係で、第一のドアと第二のドアを同時に開いてはならないからだ。まさにこういうところを通るのだから団体行動は必須だ。

その先の海底トンネル体験ゾーンでパネルを見たり、実際に工事で使用した巨大充電器やダイナマイトの展示を見たりしながら暗~い海底トンネルを進む。海底トンネルでは、火気厳禁のためなのか、全て工事は「電気」で行われていたのだそうだ。
そんなチョット怖い体験をしていると「ではケーブルカーで地上に出ます。乗ったらどんどん奥に詰めてください」ときた。おお、いよいよこの地底都市から地上へ出られるのか、とホッとする。階段を数段上がったところに、オレンジ色の小さなケーブルカーが停まっている。これに全員乗り切れるのだろうか。何とか最後にこっしーが乗り込み、ゆっくりとケーブルカーが発車した。と思うとすぐ停まった。ここでまたドアが開く。ケーブルカーで通過するとドアが閉じる。さっきと同じ風圧の関係である。ケーブルカーは「ピンポン」と音を鳴らしながらゆっくりとゆっくりと登っていく。謎の暗い海底都市から地上へと向かうなんとも異様な雰囲気で、赤ちゃん泣いてしまっているが、ごもっともである。おお、よしよし。

それにしてもこのケーブルカーの所用時間は長く感じられた。いよいよ地上か、と言うところで突然またケーブルカーが停まる。風圧の関係でドアが開くのを待っているのだ。
安堵の思いでケーブルカーを降りると、そこは青函トンネル記念館になっていた。すぐ近くに津軽海峡、いや、正確には日本海が見える。海底から来たせいか、なんと海のまぶしく明るいことか。安堵したこっしーに最後尾の警備のおじさんが「ちょっとおねえさん、足が泥だらけだよ、雑巾もらってくるからちょっと待ってて」と水漏れのトンネルをパンプスで歩いてはねあがったこっしーの足を見て驚いている。しかし、帰りは今来た道をそのまま引き返すのだから、ここで雑巾を借りてもまた同じことだ。「ありがとうございます。でも帰りにまた汚れちゃうので大丈夫です。」と言って辞した。
青函トンネル記念館では1時間ほど時間があったので、外に出てみたり、軽く蕎麦を食べたり、展示を見たりしていたが、要は歩きっぱなしで疲れていたので、窓の近くの椅子に座って津軽海峡、いや日本海を見ていた。

そして集合時間になると、ツアコンのおじさんがやってきて「では次のケーブルカーで海底トンネルに戻ります」と案内される。再び人数を確認し、31番目のこっしーで無事完了。しかし、我々一行が乗ろうとしているケーブルカーは思ったより混雑している。実は青函トンネル記念館は、道の駅三厩でもあり、ここまで車で来た人がケーブルカーを降りてトンネルを見ることもできるのだ。ケーブルカーは満員の乗客を乗せて2~3分遅れて出発した。再びあの海底都市に戻るのだ。ツアコンのおじさんがちょっと焦っている。「何が何でも皆さんにはスーパー白鳥22号に乗っていただかなくてはならないので」と息巻いている。

海底都市でケーブルカーを降りると、早速ツアコンのおじさんが「では帰りはスーパー白鳥22号に乗ります。ちょっと時間が遅れてますので、少し急ぎでお願いします」と言うので、最後尾こっしーも少し急ぐ。
さっき通過した二枚の秘密の扉も31人の一行は慣れてしまったのかこんどは大変首尾よく通過し、途中、「たっぴかいてい」の駅名表示の前で写真を撮ったにも関わらず、スーパー白鳥22号が到着する5分前には乗車口近くまでたどり着いた。ずっと心配していた警備のおじさんが雑巾を持ってきてくれた。ありがたい。
ここで最後の人数チェックをしたらなんとこっしーは33番目になってしまった。なんと、青函トンネル記念館から下りのケーブルカーで降りてきた人が2人、間違えてこの一行に着いてきてしまったのだ。二人は自力で戻ると言うが、例のドアはとても一般客では通過できない。幸いにもこっしーたちが乗るスーパー白鳥22号から見学ツアー一行が降りてくるので、その人たちと一緒に戻ることにするそうだ。海底駅に停まる列車を見ることができるなんてラッキーと2人は喜んでいる。

そしてスーパー白鳥22号がやってきた。先ほどと同じように車掌が非常コックでドアを開けて、次の見学ツアーご一行が降りる。続いて31人が乗車し、31番目にこっしーが「楽しかったです。ありがとうございました」とツアコンと警備のおじさんに言って乗り込んだ。

ドア越しにおじさんに手を振ると、車掌が非常コックでドアを閉めた。これで2時間ほどの海底都市探検は終わった。

暗黒の竜飛海底を出たスーパー白鳥は、やがて晴天の津軽半島に姿を現す。車窓の景色がひときわまぶしい。
先ほどの津軽今別も蟹田も通過し、次は青森。青森で下車すると、さっきまでの出来事は夢だったのか現実だったのか、なんとも受け入れがたい気持ちになった。こんな不思議な体験はなかなかできないものだと思うと、とっても濃い2時間を過ごしたものだと思った。


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これは文学作品の検証であって鉄の話ではありません。 [大きな旅]

こっしーが津軽今別→津軽二股に行ったきっかけとなったのは、宮脇俊三先生の作品がきっかけなのだが、実はその作品がどうしても見つからず、ここ一ヶ月ほど、図書館を巡って探していたのである。それがついに見つかったので、先生の作品を検証してみた。

「旅は自由席」 下北・津軽ローカル線紀行 より
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翌九月九日(土)。曇。蟹田発7時17分の三厩行に乗る。二両のディーゼルカーの客の大半は男女の高校生であった。握りめしを食べる女の子がいる。
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んー、さすが、先生は客観的な描写をきちんと入れられてます。こっしーの書いた文章って、こっしーの視線の先の出来事しか書いてなくて、こっしーが思うままにきょろきょろしているのがよくわかります。ああ、反省。

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左へカーブして山間に入ると中小国に停る。中小国は短い片面ホームだけの極小無人駅だが、海峡線の基点で、JR東日本とJR北海道との境界駅として私たちには有名になった。線路際に新しい「0」ポストが立っている。しかし、津軽線と海峡線の分岐点は、この先二.三キロの新中小国信号場である。運転席のうしろにたって前方を見る。
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実はこっしーも中小国という駅名は境界駅として聞いたことはありました。なので、実際に蟹田ゆきの列車が中小国に停まったとき、こんなに小さな無人駅なのか、と驚いたのです。津軽今別以上に驚きでした。でもあんまりそんなことを沢山書いてもまた鉄と間違えられそうとか思いました。でも先生のように淡々と書けば、運転席の後ろに立つという、超・鉄な行為も自然に見えてしまうのですから、凄いです。ちなみにこっしーは運転席の後ろにはたってません。二両編成の後ろの車両に乗ってました。

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新中小国で右へ別れた海峡線は複線となって新幹線併用の堂々たる口径のトンネルへ吸い込まれる。こちらの三厩行は左へカーブして薄暗い山峡の登りにかかる。
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先生は、蟹田→三厩、こっしーは三厩→蟹田に向かったので方向は逆ですが、先生の文章を読むと景色が目に浮かびます。しかもちゃんと対照的に書かれています。。

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 エンジンをうならせながら峠を越えると、右から海峡線が現れ、津軽今別駅を見上げる。在来線の列車が新幹線を退避するために設けられた駅で、築堤や高架橋の幅が広い。
 わが三厩行は大築堤の下の古びた小さなホームにチョコンと停車する。なんとも対照的だ。駅名は従来どおり「津軽二股」。『時刻表』の津軽線の欄外に「津軽二股駅と津軽今別駅は隣接しています」とある。それなら、駅名をおなじにすればよいのにと思う。
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これです。こっしーを津軽二股に呼び寄せた文は。それにしても先生の名文はこんなに短くすっきりしているのに津軽今別と津軽二股の違いを的確に表現されているます。こっしーの迷文なんてただのローカル線の駅でウロウロしている怪しい者のつぶやきみたい。。。

この後、先生の乗った列車は8時01分に蟹田に着きました。こっしーは、津軽二股発8時21分の蟹田ゆきに乗ったのですから、先生の乗った列車の折り返しに相当する列車だと言ってもいいと思っています。なのに、嗚呼なのに、この違い。そりゃ違いがあって当然だし、こんなことを言うのも恐れ多い限りです。
でも旅は楽しいし、執筆はつらい、という先生の気持ちが少しわかります。
営業の人から「今日は原稿をいただけるまでお待ちしております。印刷納期まであと○日です」といわれたり、編集の方から「ここも同じように直していいですか?」と電話がかかってきたり、と言う立場の仕事もしていましたから。
で、実際に旅に出てからこれを書くまで一ヶ月近くかかっちゃってますからね。
ちなみに今回の旅は「はやて」以外は全て自由席で、たまたまタイトルとも一致する旅となりました。


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